遠州横須賀 三社祭礼囃子保存会
三社祭礼囃子とは
三社祭礼囃子は、遠州横須賀第十四代城主・西尾隠岐守忠尚公(にしおおきのかみただなおこう・1689〜1760)が参勤交代の折り、江戸で風靡されていた葛西囃子(享保のはじめ、江戸葛西金指村・禰宜能勢環と云う人が創案し、神田祭・山王祭、ひいては将軍様上覧の天下祭にて囃された)を、その家来衆が競って習い覚え、当地横須賀に広めたのが始まりとされております。その後、天保年間には囃子の乱れを嘆いた町方有志が江戸に赴き習い直し、それに新手を加え横須賀固有の調子をあしらい、更に明治初年には有志が再び江戸に出て技を練り、藝能横須賀囃子(三社祭礼囃子)が完成されたと伝えられています。
三社祭礼囃子の曲目は、大間(おおま)・屋台下(やたした)・馬鹿囃子(ばかばやし)・昇殿(しょうでん)・鎌倉(かまくら)・四丁目(しちょうめ)の6曲で、囃子道具は、小太鼓2・大太鼓1・摺金1・笛2、踊りには、ひょっとこ・おかめ・般若(馬鹿囃子のみ)等があります。
昇殿 鎌倉 四丁目は役太鼓と称し、かつては神前および城主のみに対しての儀礼太鼓として行われておりました。現在は、神前および各町会所にて役回りの時に囃されております。
大間 屋台下 馬鹿囃子は道中囃子として囃され、祢里に独特な動き・調子を与えています。