はじめに
 

 それは、ひとつの雑誌記事から始まった。

 昭和26年2月、当時の朝日グラフに「五笑会結成」の記事が載った。これは、当時の各界の名士が「正調神田囃子を復活し、それを芸術にまで高めよう」として参集したと云う記事だった。

 これを目にした我等の先輩が、大変感銘を受け、「ここ横須賀にも神田囃子の流れを汲むお囃子が有り、そしてその保存伝承に尽力している有志が多数存在する」事を伝える為に、五笑会のメンバーの一人に手紙を認めたのでした。

 その後まもなくして五笑会のメンバーとの交流が始まり、神田囃子が東京都無形文化財に指定され、それに刺激,後押しされる様に、その数年後我等横須賀の祭り囃子である「三社祭礼囃子」も静岡県の無形文化財第一号に指定されたのでした。
 それと時を同じくして保存会が結成され、会員の切磋琢磨は無論の事、子供達へのお囃子の指導等の啓蒙活動を続ける一方、多方面からの依頼により、各地でお囃子の披露をして参りました。

 戦後の混乱より序々に復興し、高度成長時代を経て、日本人の心の中に次第にゆとりが生まれ始め、様々な文化が台頭してきました。そんな中でお祭りに対する関心も高まり、各地で様々な祭りが復活,再興あるいは、新しいお祭りも生まれました。
 ここ横須賀においてもそんな時代背景も手伝い、次第にお祭り熱が高まり、多くの人がお囃子を修得し、お祭りやお囃子の歴史を学ぶようになっていきました。そして、ずっと以前に散見されたという「ただ飲んで騒ぐだけ」の祭りから、「祭り文化」へと発展していったのでした。

 一通の手紙の発信が、ここ横須賀のお囃子あるいはお祭り文化を開花させる大きな前進の第一歩となったのです。その手紙が発信されてから50年の歳月が流れました。本誌は、この50年という区切りの年に、その間の熱き思いを馳せて奔走した人達の足跡をしっかりと記して、皆の記憶の中にこの歴史の1ページが確実に刻まれる事を深く切望するものです。


※平成12年11月「伝統から芸能 そして お祭り文化の開花 熱き者達の50年」より


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